おたまじゃくしはカエルの子

元小学校教員の、徒然なる日々の記録

若い、という事

若い事といいう事がいいことだと気が付いたのは、20代も後半、28歳頃になってからだった。

 

遅い。極めて遅い。

そして勿体ない。

 

あと5年、いや3年でいい。気が付くのが早かったら、もっと【私、若いんです】特典が使えていたのに。

 

まず、男性の対応ががらっと違う。

 

20代だったら突然、突拍子もない事をしゃべっても、うまい事いじってもらえていたのが、スルーされて相手にされなくなる。めそめそ泣きながら相談をしても、

「大変だね~」

の一言で終わりにされる。何よりはっきりしているのが、食事や飲みに行った時のお会計だ。出しても1000円だったのが、きっちり割り勘が普通になった。

最初はそんなもんかな、と思っていたが、それがどんどん普通になっていった時、やっと私は気が付いた。

私はもう、若くない。

大学生の頃、私は早く30代になりたい、などと言っていた。もし、あの頃の自分に会えるなら、言ってやりたい。

「おまえは何もわかってない」、と。

 

若くない事を自覚したのは、何も異性の対応ばかりではない。自分の中から出てくる、思いや感性がどんどんやせ細ってくるのだ。

 

大学生の頃、そして卒業してしばらくは、私は詩を書いたり短編を書いたり暇をみつけては創作活動をしていた。詩だったら、1時間もあれば5,6編、下手すれば10編くらいあっという間に書いていた。あの頃は月を見ても、カラスの鳴き声を聞いても、なんならゴミ捨て場の生ごみを見ても、それだけで心がふるえていた。そして、まるで心から剥がれ落ちるように言葉が出てきて、それが詩になってしまう。それらのクオリティが高いか、と言えば、全然そんな事はない。だがあの頃はとにかく書きたくて、書きたくて手が止まらないのだ。

 

残念ながら、今の私は月を見ても「きれいだな」しか思わないし、生ごみを見ても「くさいな」しか思わない。当然詩にできるような言葉など浮かばない。あの頃の自分の一部を、冷凍保存して置いておけたらよかったのに。―それはそれで、面倒な気もするが。

 

先日、今の学校の中学生の男の子に「これ、読んでください」と原稿を見せられた。

それらは、彼の書いた小説で、ファンタジーにサスペンスの要素が入り混じったような作品だった。はっきり言ってしまうと、よく分からない話だった。彼の頭の中では、登場人物達がその独特の世界の中で悩んだり、苦しんだりしているのだろうが、言葉が足らずに読み手に伝わりきらないのだ。

だが、そんな事より私が感じたのは、彼のほとばしる様な感性だった。恐らく、彼は心からあふれ出た言葉だけを集めてこれを書いたに違いない。だんだんと頭からひねり出さなくては、何も書けなくなりつつある今の自分と違ってー。

 

作品を読み終わった私に、

「どうですか?」

と彼はまっすぐな目で聞いてきた。もう若くない私は、何かを言ってら彼の将来をゆがめてしまいそうで

「今はとにかくいっぱい書いてみて。」

と、ありきたりな事しか言えなかった。