おたまじゃくしはカエルの子

元小学校教員の、徒然なる日々の記録

忘却と記憶

昔のことを少し。

 

もう10年以上も前の事。私が大学を卒業してすぐに入社した会社は、イベントなどで使う音響や映像機器を扱う会社だった。しかも、私が配属されたのは、機材のメンテナンスや現場設営のアシスタントをする技術部。今、こうして教育業界にいることを考えると、我ながら不思議な経歴だ。

 

はっきり言って、その仕事は私には合わなかった。人と接する事は好きだが、機械と接する事は性に合わなかったらしい。結局1年ほどで辞めた。辞めた後も、1年半くらいは心療内科に通っていた。

 

だが、不思議だ。当時の会社の事を思い出そうとすると、辛いことをあまり覚えていない。どうしても好きになれなかった先輩の名前と、仕事のことは覚えている。でも、最初に頭にパッと浮かぶのは、全く違うことなのだ。

 

 

例えばそれは、見た目がマンガの「Death Note」に出てくる’’L’’そっくりで、普段は無口なのに大好きなビートルズのことになると延々と熱く語る猫背の先輩がいたこと。深夜12時近くまで作業した時に、先輩がお菓子を買ってきてくれてみんなで食べたこと。夏祭りで使う音響機材を同期と初めて設営して、お客さんからビールと手作りのおつまみをもらったこと。

…とまあ、こうして上げていくと、楽しい思い出ばかりでてくる。

 

私のオメデタイ性格のせいなのだろうか。たしかにそれもあるかもしれないが、人間に備わった「忘却」という機能の素晴らしさのおかげだろう。

 

辛い思い出、悲しい思い出ばかり抱えていたら、人生の海を泳ぎ切るなんて不可能だ。少しでも体を軽くするため、楽しい思い出を浮袋のように体にまきつけて、嫌な思い出は捨ててしまう・・・まではできなくても、できるだけ小さくまとめてしまう。人間の頭は、勝手にこんな風に記憶を整理してくれているように思えてならない。

 

ただ、ここまで考えて、ふと思う。子供時代、つまらない授業、うざい先生、やってられない学校だけで過ごした人は、いったいどんな事が記憶として残るのだろうか・・・・。記憶にも残らないスカスカの子供時代をぶら下げて、大人になっていくのだろうか。。

小学校教諭時代、私はお世辞にもいい先生ではなかった。意味もなく叱ってしまったこともある。授業だって、楽しい授業が何回できたか、正直わからない。私との思い出がつまらなくて、ムカついて、うざいものしかなかったら、私の記憶なんてとうに彼らの頭からは消えているはずだ。もちろん、楽しい事が全て正しいわけではない。だが、大人にとって、ではなく子供にとって楽しい事は何なのかもっと考えろ、とあの頃の自分に会えるなら言ってやりたい。

 

人間は経験によって形つくられる、という事を言うのを聞いた事があるが、経験を辿る布石が記憶だ。辿っていきたくなるような子供時代を作ることが、学校の一つの役割のように思える。