おたまじゃくしはカエルの子

元小学校教員の、徒然なる日々の記録

特別支援学級との出会い

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わざわざ生きにくい所を選んで咲く花もある


私が初めて教員として小学校に赴任したのは、かれこれ10年前の事。とある特別支援学級の、臨時的任用教員になった時だった。

・・・恥ずかしながら、私はその話が決まった時、

「特別支援?なんだっけ。ああ~障害のある子達のクラスか…」

とぼんやりと思い出したくらい、特別支援や障害に対して何の知識もなかった。大学の時に、自閉症ADHDの事は勉強していた。でもその時までは「障害」というものは自分とは全く関係ない、とは言いすぎだけれども、国会中継の答弁と同じくらい遠い世界の物だったのだ。

 

自分が初めて、「障害」と言うものを知るきっかけとなったのは、学校に勤務し始めて1か月ほどたった時。クラスの子どもの事を先輩の先生と話していた時のことだった。その時、私は子ども達が物事に過度にこだわったり、落ち着きがなくなったりする事のわけがよくわからず、不思議でたまらなかった。先輩はそんな私の話を聞いて、

「でもさ、あなただって、ウチの子ども達と同じような所たくさんあるわよ」

とサラリと言ったのだ。

「えええええ~そうですか~?」

と、その時は素っ頓狂な声を上げてしまった。

 

でも時が経つにつれて、その言葉の意味がジワリじわりとわかってきた。

子どもの時から耳が痛くなるくらい言われてきた、注意散漫、落ち着きがない性質。発想力や行動力はあるけれど、一つの事を正確にきっちりやるのは極めて苦手でミスが多い事。一つの事に集中してしまうと、他の事に意識が全く向かなくなってしまう…。

自分自身についてこれまで悩んでいた事を挙げていくと、それらは全てADHDの特性にきれいに当てはまっていくのだ。

そうか、私はADHDの傾向のある人だったのか。だからミスをなくそうと自分でがんばっても、限界があったのか。そう思ったら、別に問題が解決したわけではないけれど、自分自身に対して妙に腑に落ちたような感覚があった。

自分が障害の要素を持っている、と気が付いたのとほぼ同時に、私はもう一つの事に気が付いた。それは世の中の人のほとんどが何かしら障害の要素を持っている、という事だ。一つの物を見た時の意識の仕方や、感じ方。行動に起こすまでの思考の流れ、集中の度合い…どれをとっても皆違うし、意識して変えられるものでもない。皆何かしらの偏りがあり、それが個性だとも言える。

 

障害は悪い物でも、治すべき物でもなんでもない。人間が生まれた時から持っていて、死ぬまでずっと一緒についてまわる「個性」だ。

 

障害との出会いは、私にとっては人間の見方、自分との向き合い方その物を大きく変えてくれた。