おたまじゃくしはカエルの子

元小学校教員の、徒然なる日々の記録

野田知佑さんと川の学校  その2


川の学校にスタッフとして参加する、と決まったのがその年の3月。

本番のイベントは2泊3日で、7月から11月まで月一回のペースで行われるのだが、その前に「研修」があった。一体何をするのか、よくわからないまま高速バスに乗り込み、4月の最初の研修に向かった。

 

研修に参加して最初に驚いたのは、川の学校のスタッフのほとんどが「元川ガキ」だったことだ。キャンプで食事を提供するキッチンスタッフも、元川ガキの保護者、「親ガッパ」。小学生の時に川の学校に参加した経験が忘れられなくて、「絶対スタッフをやると決めていた」と仲良くなった女の子は言っていた。

わざわざ遠方から来るモノ好きは私くらいかと思いきや、地元、徳島に住んでいるメンバーは半数以下。車や高速バスを利用して来ているメンバーの方が、むしろ多い。仕事やら勉強やらとの折り合いをなんとかつけて、吉野川に駆けつけてきているのだ。

「川の学校」が始まった当初は、校長の野田知佑さんを始めとするメンバーが直接子供たちに教えていたが、高齢化と共に若いメンバーにその技術や思いが伝えられて実質的な運営を任せられるようになっていったらしい。

 

さて、研修である。最初の研修はのんびりとカヌーで川下り…ではなく、カヌーを「沈」させて(転覆)させてそこからの脱出だ。4月の吉野川の水上は肌寒かった。水中はむろん、極寒だ。今から考えても、寒すぎて体が縮こまる。

実は、私は子供の頃は大の水嫌いだった。小学校に上がる前までは、頭を洗うのも嫌がって、「からだけ!」(体だけ洗う、ということ)と泣きながら訴えていたらしい。その後は昭和の匂いを残した小学校の先生達のプール指導により、泳げるようになった。でも生来の運動音痴が解消されるわけではなく、決してうまくはない。思いと勢いだけで来てみたはいいが、カヌーから脱出して冷たい水から上がった瞬間に不安になった。

 

その後も研修に通い続けた。季節が夏に近づくにつれて、だんだん川の水が心地よくなってくる。ある時、水の中に入った瞬間に目の前を魚が横切っていった。えっ、と思わず目を瞠る。その時から、水の中に入ったら目を見張って周りをよく見るようになった。一度、まるで水族館の水槽に落っこちたのかというくらい、大量の魚が自分の横を通り過ぎて行った事があった。

そうか、「豊かな川」というのはこういう事なのか。字面で読むのと、体で感じるのは天と地ほどの差があった。

古参メンバーが川で捕まえたナマズやうなぎ、すっぽんを捕まえて、ごちそうしてくれるのが研修中の楽しみだった。一度、蛇を捕まえて唐揚げにして食べた事がある。(味は、骨の多いささみと言った感じ)いただけるのは美味しかったし、うれしかったのだが、自分が捕まえる側になれないのが悔しい。仕事がうまくできなくて悔しい、とはまた違う。なんというのか、子供の時に自分は上手に作って回せないブンブンごまを、得意げに回している友達を見ている感覚なのだ。

・・・畜生、次こそ釣り上げてやる・・・

と思いつつ、私は一度も魚を捕まえる側にはなれなかった。

今でも心残りだ。

 

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