おたまじゃくしはカエルの子

元小学校教員の、徒然なる日々の記録

家出の準備

私は小学校で7年ほど勤務していたが、その後10か月だけ某アウトドアショップで店員をしていた。それまで「先生」と言われていたのに、お客さんから「お姉さん」と呼ばれた時の衝撃は今でもよく覚えている。それまで、一応「先生」として気を遣ってもらっていたのに、今度は逆に気を遣う立場に変わったのだ。

そのアウトドア店には、親子連れで買い物に来るお客さんも多かった。「幼稚園で登山に行くんです」と言って、レインウェアを買っていくお母さんや、子供の普段着にシャツやフリースを買って行く家族。こういった家族は、ほほえましく後ろから眺めていたのだが、意外と大学生の息子とその親、という組み合わせも多かった。

「今度、息子がワンゲル部に入ったので道具を揃えに来たんです」

と高そうなバックを持ったお母さんが、二十歳くらいの男の子と一緒に店に来た時、私は遠くからその親子を見ていた。接客をしたのは、店内でも一番商品知識が豊富で、接客も上手い先輩店員で、たちまち一番高品質なゴアテックのレインウェアを買わせてしまった。レインウェアの他にもザックや靴などを買い揃え、レジでお母さんが支払いを済ませ、二人は帰って行った。

 

なぜ、自分が接客したわけではないのによくその親子の事を覚えているかというと、社会人一年目の時初めて熊野古道を一人で歩いた事を思い出したからだ。

あの時、私は山の事は何も知らなかったし、道具も何も持っていなかった。それなのに、ただ本屋さんで見つけたガイドブックにひかれて、夜行バスを調べ、民宿に予約の電話を掛けた。民宿のおじさんは、私が一人でしかも山歩きが初めて、と聞くと

「いいか、かっぱだけはいいのを持ってこなあかん。あとな、水は絶対1リットルは持て。それから懐中電灯と塩!わかったな!」

と電話口で怒ったような口調で私に言った。私はその勢いにまかれ、「はいっ」とまるで子供のように返事をして、適当なザックにレインウェアと水とペンライトと塩、それからスキーウェアを防寒着がわりに詰めて行った。

最初に山道に足を踏み入れた時は、とんでもない所に来てしまったような気がした。行けども行けども周りに人が誰もいない山道を、一人で歩いて行くのは心細かった。でも歩いていくと、自分がどんどん自由になっていくような感覚になっていった。今自分は、人間が立ち入っていない自然の世界を、自分の足で歩いている。そう思ったら、なんだか生まれて初めて「家出」に成功してしまったような気がした。一人で、しかも装備も不十分で知識も乏しい女が山道を歩くのはあまりいいことではない。でも、これでやっと私も「家出」して独立したようなそんな感覚があった。

 

あの二十歳くらいの男の子は、ゴアテックのレインウェアを着てどんな山に登ったのだろうか。きっとあのウェアは高品質だから、手入れさえ間違えなければ今でも着られるはずだ。でも、どこに行ったとしても、きっと彼が自由を感じる事はないだろう。「家出」の準備は、自分でするもの。親にしてもらっては意味がないのだ。

 

親が子供に最後に、先生が生徒に、最後にしてあげれられる最高のプレゼントは「こんなところ、出て行ってやる!!」と言わせることなのかもしれないなあ。