おたまじゃくしはカエルの子

元小学校教員の、徒然なる日々の記録

成果、とは?

今は便利な世の中になったもので、「あれ、なんだっけ?」と思ったことの8割は、Googleさんに聞けば解決してしまう。

 

これは、教育や学校関係者も大いに恩恵を受けていることで、なんかんだ毎日のようにGoogleさんに質問をしている現代人だ。昔なら、本を探しに図書館へ走った事を考えると、随分ラクをしているなと思う。

 

先日フリーのプリント教材のサイトを見ていた時、こんな記事があった。

『これが、私の子供の成績表です。国語、算数、理科、社会、家庭科や体育まで、全部Aです。でも、私が伝えたいのは、我が子の成績の良さではないのです。私の子がやったのは、一日数枚、この無料のプリントの教材をやったことだけなのです。』

 

その書き込みと共に、おそらくお子さんのものであろうオールAの成績表の写真が載せられていた。その成績表がホンモノか偽物か、はたまたその方が本当にプリント教材だけを与えていたのかは、わからない。ただ、私はその記事を読みながら、どこの親御さんもホントに悩んでいるんだな、と感じた。

 

教育の世界に入った時、とある先輩先生から、こんなことを言われた。

「これだけは覚えておきなさい。私達の仕事の本当の成果や結果なんて、1年や2年、ましてや数か月先にわかるモノじゃないの。その子が成長して、大人になった時に初めてわかるモノなんだから」

教育の難しい所は、短期的な視野では成果が非常にわかりにくい所なのだ。例えば、漢字練習を1か月間毎日コツコツやって、50字覚えた、としよう。その事自体は素晴らしい、漢字を50字覚えた事は成果だ。しかし、その漢字を実際文章を書く際に使いこなせるか、と言えばまた少し違う話だ。もっと言えばその漢字を1年後、2年後に覚えているかと言えばまた全然違ってくる。

 

教育の究極的なゴールは、何かと言えばその子がその子らしく、自分の力で幸せな人生を選んでつかみ取る事だと思う。全ての学習はそこに繋がっていなくてはならないはずだ。毎日コツコツ学習する事はとても大切だし、意味は絶対にある。しかし、それだけやっていれば万事OKか、と言えばそういう事でもないと思う。

 

偉そうにつらつらここまで書いてきたが、こんな事はどこの家庭だって、先生だって、学校だって100年前からわかっている話なのだ。

ただ、親だって、先生だって人間だ。自分のやっている事が正しいのか、間違っているのかわからないから、自信を持ちたい。目で見える結果が欲しい。だから、すぐにやって`とりあえず‘結果がすぐ出るプリント教材が私の子供の頃も、今もこんなにも出回るのだろう。

 

「AIが仕事を奪う時代だ」とか「価値観が多様化した生きにくい時代だ」と言われる時代だ。でも、あえて開き直ってしまってもいいように私は思う。漢字や計算、度忘れしても「OK、Google」で済む事は大いに任せてしまえばいいではないか。

その代わりに、身に着けるべき力はもっともっと他にある。