おたまじゃくしはカエルの子

元小学校教員の、徒然なる日々の記録

自己分析の終着点

最近、自己啓発系の本の広告が目につく。 朝、ぼーと電車に乗ってドアによりかかっていると、

「あなたの強みがわかる!!」

というデカデカとキャッチコピーが目に入った。どうやら読んでいくと、自分がどういうタイプが分かるらしい。 ふと、自分の学生時代、就活の時を思い出す。 三年生の秋頃、そろそろ就活だと意気込んでいると、セミナーでこんな事を言われた。

 

「まずは自己分析をしっかりしましょう。自己分析がしっかり出来ないと、自己アピールができません。就活が上手く行った人は皆、自己分析をしっかりしていました」

 

ほほう、なるほど。ではやってみようと、書店で自己分析の本を買い込み、自分の長所、短所、今までで一番感動したこと、などなど思い出してワークシートに書き出していった。

しかし、この自己分析というやつはクセモノだった。その場では、

「うん、私はこういう奴なのだ。そうだそうだ」

などと、それに基づいて自己アピールを考えてみるのだが、後日、特に不採用通知を受け取ってから考えると

「やっぱり私はそんな人じゃなかったのかも」

などと思えてくる。 不採用通知を何回もらうようになると、自分がアピールしてきた長所など初めから存在しなかったのかもしれないとさえ思えてきて、

「自己分析、初めからやり直そう…」

と、無限とも思える自己分析ループに陥った。

なんとかかんとか、自己分析ループから脱出して、会社に入ったモノのなかなか上手くいかず、完成しきっていない自己分析のワークシートが追いかけてくるような、そんな錯覚に陥った。

自分の顔は鏡に写せば見ることが出来るが、性格や中身は見えない。 本音もあれば、建前もある。裏の顔も表の顔もある。 長所だと自分は思ってる事も、誰かが保証してくれるわけでもない。 そんな事を思ったら本当に自分が分からなくなり、意味もなくもんもん悩む20代を過ごす事になってしまった。

そんな必要は、全然なかったのになーと、今になって思う。結局必要なのは、自分の得意な事と苦手な事がわかっている事。得意な事をやるのは楽しいし伸びが早いが、苦手な事をするのは辛い。だったら得意な事を生かせるように、自分のやり方や人生を考えればいい。それだけだ。

最近、受け持っている女の子とよく話をする。掛け算九九や漢字が覚えられないで、ちょっと悩んでいるような顔をしていた彼女に、

「多分、みっちゃんはさ、説明をしたり、理屈を考えたりするのが得意なんじゃない?だからそれを生かしていったらいいんじゃない?」

と言ってみた。我ながらざっくりしすぎてて、具体性のないアドバイスだが、その時の彼女のびっくりしたような顔が妙に印象に残っている。

「あー私そういえば、お母さんに漢字の成り立ちの話したかもー」

と、ふっと大人びた顔で言っていた。

私も、自分の強みを知りたくて本を買う大人も、小学校2年生の彼女も、みんな自分の事がわからないで悩んでいる。人間、みんな自己分析の終着点を探しているのだ。