おたまじゃくしはカエルの子

元小学校教員の、徒然なる日々の記録

リョコウと旅

子供の頃、私は人がなぜ旅に行くのかわからなかった。

 

別に旅行をした事がなかったわけではない。家族旅行という物は、我が家にだって年に1,2回はあった。そして、心待ちにしていた頃も確かにあった。しかし、何度も行くうちにリョコウというものに行く意味がだんだんわからなくなっていったのだ。

 

まず、リョコウに行くに行く日の朝は早起きをする。大抵午前4時に起床。まだ暗いうちに車に乗り込み、前日にコンビニで買ったおにぎりやサンドイッチを食べる。ちなみに、この時私はどこに連れて行かれるかわかっていない。わかっているのは、ただリョコウというよくわからないけど非日常的なイベントがある、という事だけだ。

 

昼前に、最初の目的地に到着。大抵、風光明媚な場所、例えば滝だったり景色のいい山の方だったりする事が多かった。ここで景色を眺めつつ、観光地に付き物のソフトクリームか何かを食べる。この時よく大きな薄汚れたザックを背負って、がっしりした靴を履いた人達が、山や谷の方へ歩いて行くのをよく見かけた。なんだか面白そう。母に、行ってみたい、と言うと母の答えは

「また、今度ね」

また今度、の今度が本当にある、なんて信じるほど私は幼くはなかったが、まあ、いいやと自分を納得させる。リョコウは始まったばかり。この先に本丸的なお楽しみが待っているのだ。

 

昼食を食べると、博物館か資料館に行く。私の父は歴史好きで、我が家のリョコウは、歴史的資料を展示する博物館か資料館に行くのがお決まりだった。ガラスケースの中の色々な物を見ながら、母が解説を読んでくれる。別につまらなかったわけではない。でも今でも思い出せるものはほとんどない。でも、当時の私は、じゃあ別の所に連れて行ってほしい、と主張する頭もなかった。リョコウでは資料館に行かなくてはならない、と思っていたのだ。

 

午後3時過ぎに宿に着くと、父は大概ここで運転が疲れた、と言って昼寝をする。その間、私は母とお土産物を見たり、宿の周りを散歩する。ぶらぶら歩きながら、私はリョコウがまだ明日もある事にわくわくする。きっと明日は面白い事があるに違いない。

 

次の日、朝ごはんを食べるとまた車に長い間乗り、今度は城に行く。城に着くと、読めない字で書かれた巻物の手紙やよろい兜が展示してある。よろい兜を見る度に母はこう言う。

「昔の人は、小さかったのねー」

…うん、まあそれに異論はないのだが。

 

と、まあこんな感じで、どこに行っても歴史的、地理的に有名な名所を巡り岐路に着く、というのが我が家のリョコウだったのだ。私は、きっと次はすごい所に連れて行ってもらえる、とどこかで思いながらも行く先々でなぜかあまりテンションが上がらず、なぜ上がらないかもよくわからないけどまあいいか、と思いながらリョコウに参加していた。

しかし、ある時私はふと考えた。いったい私は、なんのために長い時間、時に車に酔いながら移動し、高い金を払って(別に自分が出しているだけではないのだが)ホテルに泊まるリョコウに行ったのだ。風光明媚な景色はきれいだったが、別にテレビでも見られる。資料館もつまらないわけではないが、何が展示されていたかは、いまいち思い出せない。そんな事を考えたら、一気にリョコウに対する興味がなくなってしまったのだ。

 

こんな思い出があったからだろうか。大学に入って自由に色々旅行に行ける立場になってもなんとなく面倒に感じてしまい、あまりどこにも行かなかった。今から考えれば、もったいない極みである。

 

旅が好きになったのは、皮肉にも遊びに行く時間少なくなった社会人になってから。本屋で世界遺産である熊野古道の本を見つけ、歩いてみようとと思いついたからだ。と言っても山に登った経験などほとんどない。コットンのパーカーにスキーのダウンジャケット、という山には全く向いていない格好で夜行バスに乗り込んだ。

これがとてつもなく楽しかった。一人で歩いていると、見知らぬおばさんがみかんをごちそうしてくれた。バスの運転手さんも話しかけてくれた。泊まった民宿のおじさんが、翌朝車で送ってくれたのだが、その途中で、

「あの石は安倍晴明が座った石や。ここにタオルあるから敷いて座っておいで」

と(私ははっきり言って興味がなかったのだが)車から降ろされて石に座らされた。何よりも、熊野古道を歩く、という目的がはっきりとしていてそれが達成出来たら気持ちいい。名所や観光地に行かなくてはいけないという、謎の義務感もない。

 

それから私は登山の道具を少しずつ買い込み、休みには山旅に出かけるようになった。大抵一人で出かけたが、寂しいと思った事は一度もない。女が一人で出かければ、

「一人で来たんですか?」

誰かしら必ず話しかけてきてくれる。時に、話が盛り上がって連絡先を交換したりもする。

社会人としての仕事は、いつもダメダメだったが、山に行くと、自分の足で一歩一歩、確実に世界を広げているような感覚があった。

 

もし、あの時熊野古道に行っていなかったら、私はリョコウに行く意味も分からず、自分の足で旅をする自由も知らず、今の相方にも出会っていない。人生というのはリョコウではなく、旅なのだと思う。