おたまじゃくしはカエルの子

元小学校教員の、徒然なる日々の記録

日本の就活は、異常?

就職活動、略してシューカツ。

 

今年はコロナの影響か、あまり姿を見ないが黒いスーツに白いシャツを着た大学生を見かけると、思わずガンバレーと言いたくなる。私も10年ちょい前に、同じようにシューカツをした。正直、あまりあの時の事は覚えていない。大学3年生の11月から、憧れの出版社就職を目指してスタートをしたが、玉砕に次ぐ玉砕。出願の範囲を広げろ、というアドバイザーの言葉に素直に従って教育やら広告やらの業界にも手を伸ばしたら、逆に何を目指しているのかわからなくなり、ただただ交通費ばかりがかさんでいった。4年生の夏になって、やっと小さな編集プロダクションに入った・・・・と思ったらアメリカのリーマンショックのあおりを受けてかあっさり

「仕事がなくなった」

と内定を切られ、9月からまた再スタート。なんとこさ仕事が決まったのが4年生の10月終わり。考えてみると、丸々1年も就職が決まらずおろおろしていたのだ。

いったいいくつの会社を訪問したり、エントリーしたりしたんだろう。今となってはもう名前すら思い出せない。

面白いのは、あれから10年以上経ったのに、初めて降り立ったはずの駅に着いた時、

「あれ?ここ前に来たことがある・・・」

と思う時が結構な確率であるのだ。そして、よくよく考えると黒いスーツを着て、地図と周りを必死で見比べていたような記憶がふわっとよみがえってきたりする。シューカツが果たして有意義な経験だったかどうかもわからないが、とりあえず自分の一部として残ってはいるらしい。

 

なぜ、あの頃あんなにも必死で就職活動をしたのか。理由は一つではないが、おそらく「ここで就職しなければ、社会の正規ルートから外れてしまう!」という思い込みがあったんだと思う。みーんな一緒に学校に通い、卒業し、受験し・・・・というサイクルの10何年というのは恐ろしいモノだ。あんなにも、

「人は人、自分は自分だから」

などと偉そうに息巻いていたくせに、いざ、独り立ちという時に必死に足並みを合わせようとしていたのだから。別に就職活動そのモノがおかしい、とは思ってはいない。だが、もしあの頃の自分に会えるのなら、

「おまえは、世間と歩調を合わせたくてシューカツしているのか、自分の目的のためにシューカツしているのか、どっちだ!」

と一喝してやりたい。・・・まあ、あの頃の自分がその言葉を聞き入れたかはわからないが。

 

カナダに行った時、よく日本の就職活動について話が出た。カナダに限らず、海外の人たちにとって日本の就活の光景(黒いスーツにひっつめた髪、みんな同じバックと靴で会社説明会に行く)は奇妙、というか不思議な光景として捉えられる事が多い。なぜなら、カナダには「新卒」という概念が存在しないのだ。大学を出たばかりだろうと、何年の仕事をしていようと、「私はこいういう技術があります。これができます」と自分を企業に売り込まなくてはいけない、ある意味とても平等な社会だ。売り込むポイントがある者は、就職するチャンスがあるが何もなければもちろんなかなか就職が決まらない。至極シンプルな社会。カナダの会社でワーキングビザを取って仕事をしている日本人と話していた時、

「日本の就活って、ホントにありがたいと思いますよ。だって、何もできない人が大きな企業に入るチャンスが与えられて、しかも入ってからお金をもらって一から教えてもらえるなんて、なかなかないですよ!」

と言っていたのを思い出す。

 

就職活動がいかに大変だろうと、大学を出たばかりの学生というだけで手厚く扱ってくれる企業がまだ日本にはたくさんある。終身雇用制度が崩壊した、とは言われているが日本は(外から見たら)まだまだみんな横並びの平和な国だと思う。