おたまじゃくしはカエルの子

元小学校教員の、徒然なる日々の記録

「生きる力」と「生き抜く力」

実は、私は過去にほんの2か月だけ結婚相談所に登録していた事がある。別に結婚しなきゃ!と焦っていたわけではない。人生に色々迷っていた31歳の頃、とある占い師に

「あなたは、まず何より結婚相手を探すべきです。それには結婚相談所にいきなさい」

と言われた。その人のそれまでの話があまりに的確に当たっていたので、つい真に受けてしまったのだ。今から思うと、行った先が怪しげな霊感商法の拝み屋とかでなくて、ホントに良かったと思う。こうして私は2か月ほど「婚活」をして、結局婚活とは関係なく出かけた山で今の相方と出会い、今に至っている。

 

そんな経験があるせいか、結婚相談所や婚活の話が聞こえてくると、ついつい耳をダンボにして聞いてしまい、「あ~確かに、そういう事ありそうだな~」(たった2か月しか活動してないにも関わらず)などとふむふむ、にやにやしてしまう。我ながら、実にいやらしい。

 

先日、Youtubeで『さよなら婚活チャンネル』という結婚相談のカウンセラーさんがやっているチャンネルを見つけた。婚活に関するリアルな話をたくさんしていて興味深いのだが、その中に

「実家暮らしだと、婚活は難しいか?」

という話があった。結論から言ってしまうと

「Yes」

で、女性でも男性でも「親に頼っていて自立していない人」と見られてしまい、婚活が長引くケースが多いらしい。実際、親に身の周りの事をなんでもしてもらうのが当たり前、という感覚の人が少なからずいるのも事実のようだ。強烈だったのが、

「私、かつてハンガーの使い方を知らない40代の男性を担当したことあるんですよ~」

という話。

「結婚となると’生き抜く力’が求められるんですよね」

 

うむ、納得。

 

ふと、カナダでのスピーキングクラスを思い出した。

カナダでの教育事情について皆でディスカッションした事がある。カナダでは、一部の先生達は九九を教えないらしい。不思議に思った保護者が先生に訊いた所、

「電卓を使えば問題ないでしょ」

という答えが返ってきたという。

まあ、言わんとする事はわかるが、やっぱり計算を自分の頭でする事が子供の能力の発達を促す上で大切なんじゃないの?と私が言うと、何人かがそれに賛同した。その様子を聞いていた先生がこんな話をしてくれた。

「私はここの学校で教え始めてから、ホームステイ先で電子レンジの上にモノを置いたまま使ってしまい、ボヤ騒ぎを起こした日本人学生を3人は知ってるよ。計算を電卓なしでできる事と、正しく電子レンジが使える事、どっちが大切だと思う?」

う~ん、それを言われてしまうと、日本人が学校で一生懸命やっている事の大半が何のためなのか、わからなくなってしまうではないか、と、なんだか遠い気持ちになったことを思い出す。

 

今、文科省の学習指導要録には

「生きる力」

という言葉がきらきらとたくさんちりばめられている。生きる力、とは何なのか考えていくとこれまたきりがなくなるので今日は省くとするが、一つ言えるのは「生きる力」の前に「生き抜く力」がだんだん下がってきているのではないだろうか。そりゃそうだ。わからない事があれば

「OK、google

の一言で、解決してしまう世の中なのだ。でも、便利な世の中に慣れきってしまって、主体的に見て、感じて、触れて、そして行動しようとする力がなくなっていってしまっているとしたら、それこそ本末転倒だ。

 

幸い、私が山で見つけた相方は独身時代もほとんど外食をせず、恐ろしく汚くて狭い台所で米を炊いて、野菜炒めなんぞと一緒に食べていた男だ。生き抜く力に関して言えば、平均値以上は持っているはず・・・・

と思っていたのだが、前は自分でやっていた弁当箱におかずを詰める作業を、最近私がやってあげている事をいいことに、何も言わずにやらないで寝に行ってしまった。

 

生き抜く力、保持と強化のため、あえてやらないのも愛情の一つなのかもしれない。