過去と他人は
私は小学校でトータル7年ほど担任を務めてきた。
その中で、よくこんな光景を見てその度にもやっとした気持ちになっていたので、今日はその時の事を書いてみたいと思う。
校内の授業の研究会。ある先生の授業を皆で見た後、会議室に集まり協議会が開かれる。黒板の前に一列に校長、副校長、授業をした先生、そして外部から呼んだよくわからないけど立派なんであろう先生が並んで座り、最初に授業をした先生が話だす。
「今日は見ていただきありがとうございました。私はこれまで子供の読解力を上げるために読書指導に力を入れ、こんな掲示物等を作ってきました。そして、最近子供達からこんな発言が出てきたり、読書をたくさんする様子が見られたり、子供の成長と変化を感じています・・・・」
とまあ、こんな話をよく聞くのだが、意地の悪い私はつい、こんな事を思ってしまう。
子供はそんな簡単に変わんないよ。
人は誰もが、体の真ん中に「変わるスイッチ」を持っている。そのスイッチは、絶対に自分しか押すことができない。周りの人間は
押してみたらいい事あるよー
押してみなよ!
押しなさい!!
とあーじゃこーじゃと言う事はできても、実際に押せるのは、ただ一人、本人だけ。
年が若ければ簡単に何度も押せるスイッチが、年齢と共にだんだんとおしずらくなっていってしまう事はあっても、だれかが変わりに押してくれるなんて事は絶対にないのだ。
ほら、よく言うではないか。
過去と他人は変えられないって。
だから、先生が
私が子供達を変えるのだ!!
と息巻くのは勝手だが、別に変わらなくても、落ち込む必要はない。
狙い通りに変わったとしたら、子供の変わりたいという意思が先生の思いとたまたま合致しただけの事。それほど得意になる必要だってない。それより変わろうと努力した子供をうんとほめてあげて、変わるように仕向けた自分にグッドボタンをぽちっと押せば、変に傲慢になることもなく清々しくいられるのに、と思ったりする。
私の母は音大出身でピアノの講師をしていたから、私にも当然音楽を教えようとした。幼稚園の頃から私をピアノ教室に通わせ、家の中にはクラシック音楽が流れていたし、幼稚園で習ってきた歌を調子っぱずれに歌えば
「違うわよ!!」
と歌のお姉さんばりの美しい音程で直された。
だが、悲しいかな、私は音痴だ。
この世で一番嫌いな場所はカラオケ。歌っていると自分の音程の悪さばかりが気になって、歌っていても全然気持ちよくない。子供の前で歌を口づさめば、子供がにやにやして
「せんせーおんちー」
と言うし、最近なぞ鼻歌をふくふく歌うだけで相方に
「その段階で音程が違う」
と言われてしまう。
しょうがないよね。過去と他人は変えられないんだもの、ね、お母さん。