おたまじゃくしはカエルの子

元小学校教員の、徒然なる日々の記録

二つ目のバック

 私は今、ステューデントビザを取得して、ここに滞在している。つまり、立場は’学生’。大学を卒業してはや10年。まさかこの年になって、学生になるとは思わなかった。

 

 学生、と名乗ったからには学校に通わねばならない。というわけで、毎日語学学校に通っている。留学、とか海外、という言葉にはやたら解放的なイメージがあるが、実際は、大きな町のこじんまりとした部屋に集まってしこしこ勉強しているわけで、案外地味だ。

 

 私の通っている学校は授業中はもちろん廊下でも、トイレでも、ラウンジでもとにかく一切母国語は禁止。日本人もたくさん来ているが、学校で会ったら英語で話さなくてはならない。だから今私は、朝起きてから夜寝る時まで、誰とも日本語を交わす事がない、というのが普通になりつつある。就職してからちょこちょこと英会話に通っていた私はなんとな~く楽しくおしゃべりはできるのだが、文法はメタメタだし、ボキャブラリーもないし、発音だってジャパニーズイングリッシュ。あくまでも、「なんとな~く意思が伝わったかな~~」というレベルで満足していたので、ここに来て苦労する羽目に陥っている。

 とにかくフラストレーションが溜まる。自分の言いたいことの大まかな事は伝えられても、自分の気持ちだったり細かいニュアンスを伝える事が出来ない。また、ネイティブの人、もしくはネイティブに近い人と会話をすると、話のスピードについていけず頭がやたら熱くなる。あ~~世の中全部日本語になればいいのに!と思う事も度々だ。

 

 今まで、「発音?会話できてればいーじゃん」などと言っていたけれど、ここに来て、いろんな国の人の色々ななまりを聞いているうちに、それが間違いだった事に気が付く。韓国から来ている留学生と話しをすると、ハングルのなまりが強くて、thinkが「ティンク」に聞こえるし、Bの発音が「プ」に聞こえたりする。きっと私の発音だって似たような物なんだろ、と思うと、他人の振りを見て我が振りを直さねばと思う。

 

 会話というのは、相手に正しく伝わって、相手の意思を正しく受け取れて初めて成立するんだな、と今更ながら気が付く。自分の思いを知ってる単語と文法だけでなんとなくつなげても、キャッチボールは成立しない。

 

 

 とまあ、こんな調子で地道に勉強に励んではいるのだが、今日は放課後久しぶりに日本人だけでカフェに行った。

久しぶりに日本語で話す会話。

あ~スムーズ。あ~気持ちいい。言いたい事が言えるって、相手の思いが伝わるって気持ちいい~。

久しぶりの日本語の会話は、数日山にこもった後の温泉にも似て、ホントに気持ちがよかった。

 

 帰り道、ふと日本に居た時にずっと英語を教えてくれていたV(Don`t Worryが口癖のフィリピン人。私とはもうかれこれ5年くらいの付き合い)の言葉を思い出した。

「英語を勉強する、という事は二つ目のバックを持つという事なんだよ」

私が首をかしげると、続けてこういった。

「君はいつもこのバックを持ち歩いているだろ。このバックはきっととても使いやすいはずだし、違うバックに変わったら始めはとても使いにくく感じるはずだ。でも、何度も使っているうちに、その二つ目のバックだって一つ目のように使いこなせるようになるんだ」

 

 その時は「ずいぶん格好つけた事言うもんだなあ~」などと思っていたが、今その意味が本当によくわかる。私の日本語のバックは、自分の気持ちを伝えるための言葉がいっぱい詰まっているが、英語のバックは、というとまだまだスカスカ。そりゃ~フラストレーションも溜まるはずだ。英語のバックの中を言葉でいっぱいにして、それを使いこなすための訓練をしなければ、永遠に自然な会話など出来るはずもない。

 

 海を越えてはるばるやって来たこの地で、もっと早く気が付くべき事にようやく気が付いた私である。