おたまじゃくしはカエルの子

元小学校教員の、徒然なる日々の記録

発達検査は何のため?

先日、フリースクールに来ている子供のお母さんとこんな話をした。

「学校から、発達検査を受けるように、って言われて受けたんですけど、あれ、受けて何か変わるんですかねえ…」

 

発達検査というのは、ざっくり言ってしまえば同じ歳の平均と比べて、どの部分が(肉体的な部分以外で)どの程度発達しているか調べる検査だ。

学校では、子供が所謂通常の学級で通常通りの学校生活を送れない、ということになった場合、必ずと言っていいほどこれを受けるように言われる。子供の得意な事と苦手な事を客観的に把握して、支援に役立てるため、ということなのだが…

「あれを受けても、学校は何も変わらないし、自分の子供の苦手な事くらい、受けなくてもわかってますよ」

 

うーむ。リアルな声。なんだか耳が痛くなってきた。

 

発達検査に受ける意味がない、とは全く思わない。私自身、親でも先生でもない、完全なる第三者からの客観的な分析を読む事で、気づく事もたくさんあった。

 

だが、通常の学級ではあの結果をどう生かしたら良いのだろうか。

その子個人に対する言葉掛けなどには生かせるだろう。だが、その子に合わせて授業の流れや活動を変えるわけにはいかない。あくまでも学校全体、学年全体の流れに沿って動かなくてはいけない。そうすると、担任は結果的に「あの子には合っていないけど…」と、思いながらも検査の結果を無視するような授業をやらざるを得ないことになる。

特別支援の場合、授業の内容を子供に合わせて変えられる。だから、私は「無視」まではしていなかった。(と思う)だが、運動会やら学芸会やら学校全体で動く時には、子供の思いや検査の事なんて無視して、ガンガン進まざるを得ない。

 

ホントは、発達検査は担任の為にあるのかもしれない。

なかなかクラス中に溶け込んでくなかったり、指示に従ってくれない手のかかる子を相手にすると、担任は「自分の指導力不足かも」と不安になる。そんな時、この発達検査があると、担任の中で言い訳ができる。

「この子は発達障害がある。だからクラスに馴染めなくても仕方ない。私の指導のせいじゃない」

そんな言い訳をしても状況は改善はしないが、少なくとも担任の自己肯定感低下に歯止めはかかる。

 

…先生とはなかなか悲しい生き物だ。