おたまじゃくしはカエルの子

元小学校教員の、徒然なる日々の記録

日記

こっちに来てから英語で日記をつけるようになった。

 

初めは、ただ単語を覚える為に短い文章を作っていただけだった。でもそれだとなんとなく勉強のためだけ、という目的ありきの作業になってしまいつまらなく、気づいたら日記になっていた。自分で英文を書くと、文法だったり単語だったり必ず何かしらのミスがあるので、必ず先生に見てもらい赤ペンを入れてもらう。そのうち先生の方から、「お~今日のDiaryはなんなんだい?」

と聞いてくれるようになった。

 

題材は、こっちに来て感じた事、思った事、ホストファミリー達との生活、日本にいる相方とラインで話た事、などなど。ただ起きた事を書くだけだと単純な単語しか使わないので、出来るだけ自分の思いや意見を書くようにしている。拙いながらも自分の意見を言葉にすると、先生が添削しながらコメントを言ってくれて面白い。

 

教員は、実は芸人だ。誰かを楽しませたり、関心させたくてたまらない人種である。一応元教員の私は、(読者が先生一人しかいないのにも関わらず)少しでも楽しい日記を書こうと日々題材を探している。添削の時に先生が笑ってくれると、無性にうれしい。たとえ、その日記が中学生でもしないような文法のミスをしていようと、元々なんの単語なのかわからないくらいのスペリングのミスをしていようと、先生が笑ってくれた事がうれしいので、目的は果たした気になる。しかし、こうなってくるともはや元々の目的が何だったのか若干怪しくなってくる。

 

先生に一番うけたのは、ホストファミリーの生活だ。彼らの生活は私から見るとびっくりすることの連続だ。日曜の朝からホストマザーと娘さんが喧嘩をして、その10分後に今度はファザーとマザーが喧嘩をして食堂で大騒ぎをしているので、私は食堂に入りたくても入れず朝ごはんが食べられなかったという話を日記に書くと、先生は

「これはTrouble(大事件)だぞ」

とげらげら笑っていた。それからは、

「お~あれからホストファミリーはどうしてる?まだ喧嘩してるのか?」

と先生の方からなぜかウキウキと聞かれるようになり、私もつい調子にのって

「あ~昨日も夜10時くらいからまた議論が始まって、1時に降りていったらまだ続いていたよ」

とぺらぺらとしゃべっていた。

先日、初対面の学生に自己紹介をしたら相手の女の子に

「あなたの事、もう知ってる。先生があなたとあなたの日記に出てくるホストファミリーの事を授業で話してた」

と言われてしまった。どうか、うちの学生が何かのきっかけでうちのホストファミリーと知り合いにならない事を祈るばかりである。

 

先日、カナダと日本の通勤の時の服装について日記を書いた。私はいつもSkytrainというお台場の「ゆりかもめ」のような無人の電車を使って通学しているのだが、スーツを着ている人がほとんどいなくて驚いた。日本で通勤、というとまず思い浮かべるのがスーツやジャケットだが、これは世界的に見ても珍しい文化のようだ。日本に来た事のあるこちらの友人達には

「日本人はなんでみんなスーツを着ているの?朝の電車の中がみんな同じ服装をした人ばかりでびっくりしたわ」

とよく言われる。

日本で働いていた時は、会社員=スーツやそれに類するモノを着ている人、と思いこんでいたが、人前で何を発表したり大事な商談があるならまだしも、社内で仕事するためだけにそんな物を着る必要もない気がする。私は、

『日本のビジネスマンがスーツを着るのは、他人と同じ格好をして目立たないようにするため、そして何を着ようか悩まないようにするためだ。これだから日本の男のファッションセンスはいつまでたってもダサいのだ』という随分上から目線の日記を書いて学校に持っていった。先生はクスりと笑って添削した後で、

「Conform」(従う、順応する)

という単語を赤ペンで書いてこんな事を言っていた。

「僕は、日本人が一番大切にしているのは、これだと思う。考えてみなよ。日本はあんなに小さい国なのに、あんなにたくさんに人が暮らしているんだ。みんなが居心地よく過ごそうと思ったら、Conformしなければ成り立たないだろう」

 

確かに・・・・・!

 

物事は多角的に見ないと本質が見えないんだなあと、改めて考えた出来事だった。